森本アリのよりぬき坂段

2026.03.24

土へんに反ると書く「坂」。
土に返るような状態を表し、
傾斜の様子を示すのだという。
平らな面に対し、角度がつくと抵抗が生じる。
高低差が生まれる。高/低。上/下。天/地。
「さか」という音は「さかさ」に通じる。

坂と階段の宝庫、塩屋
ジゴク、ジゴクの高低差ワンダーランド




「無駄に豪華なシチュエーション」
「永遠に追いかけっこができる」
「十字路ならぬ十字階段」
「段差があればそこはステージ」
「30年ぐらい時代を遡るタイムスリップ」

 これらは、塩屋のまちのあれこれを紹介する「シオヤジャーナル」で発表してきた階段・坂コラムのタイトルの一部。それぞれ坂と階段の特徴を伝える言葉である。塩屋の坂や階段には名前がない。いくつか呼び名があるが「地獄坂」「赤い坂」など主に形状を表すもの。その中で、まちの高齢者から「ぶた坂」と呼ばれる坂がある。その坂の付け根にかつて養豚場があったことが由来だ。さらには養鶏場と少しの間牛舎もあったという。それらの話を聞いていると、坂は様々なドラマで肉付けされ、豊かな記憶を伴うものともなった。

「てくてくと のぼってふりむき うみみえた」
「きゅうなさか じごくじごくと げんきなばあちゃん」
「はたふり はちぶせ てっかいさん まいにちのぼる けんこうほう」

 こちらは塩屋のまちの人たちと作った「しおやカルタ」の読み札。坂と階段は生活の一部だ。他の地区の人に塩屋案内をする際、旧グッゲンハイム邸から西向き地蔵を過ぎて勾配がきつくなると「こんな坂、毎日上がり下りするの? 私は住めない」と声が上がる。僕はいつも、上記の「き」読み札の一句を返し、「毎日この坂を上がって、真冬でも汗かいていると、体の代謝もよくなるみたいで、寿命が10歳から20歳は長い気がするんですよねー」なんて話すことが多い。実際結構な割合で超人級に元気な高齢の人がいる気がする。あながち「毎日の健康は坂の登り降りから」は否定できないだろう。


 塩屋で1番の「地獄坂」はたぶん3丁目の赤い坂。「しおやこども園」はこの坂の中腹に位置するので、お父さんお母さんが修行のようにベビーカーを押しながら登る光景は毎日のこと。彼らの「じごくじごく」というつぶやきが聞こえてきそう。この坂が赤いのは滑り止めの色。坂の傾斜度はハンパない。20度以上を計測する場所もある。滑りそう、ふくらはぎの筋肉がいつもの使い方と違う、なんて足元のことで頭がいっぱいになりそうだけど、ぜひ視線を上げて降りて欲しい。向こう正面を見ながら坂を下ると、この坂(3丁目)の対面の斜面(4丁目)の立体的な傾斜地集落が目前に迫ってくる。
 塩屋の最高の傾斜地集落は8丁目、望海台団地と呼ばれる集落だ。クリトファー・ノーランの映画「インセプション」にニューヨークの街が反り上がってくる描写があるのだけど、望海台団地はあまりに立体的なので「インセプション現象」と表現したりする。この集落には3本の坂があるがどれもすごい勾配。実はこの坂は元々は階段だったものを無理に坂として整地し、工事車両を入れ開発したのだという。塩屋はこのタイプの集落がいくつもある。あまりに坂が急なので坂の中に階段が刻まれていたり、階段が坂の縁に寄り添っていたりする。現在の基準ではこのレベルの急斜面の開発はできないそうだ。各家の間に高低差が生じるこの立体的な斜面地集落はそれぞれの家からの眺望が確保されている。そのこともあり、高齢になり足腰へのに負担が大きくやむなく引っ越し空き家になる家はあるが、かなりの確率で若い層に引き継がれ、素敵なリノベーションがされ新しく息を吹き返している。斜面集落自体が塩屋の地域資源なのだ。

 シオヤプロジェクトの「勝手にまち探訪」は80回を迎えた。神戸の山際と海沿いの、観光資源と呼ばれるものは皆無のただの住宅地をひたすら歩き回る企画だ。塩屋の案内人を務めたら1日で上り下りした高低差が95階分と表示された。これからあそこを登りますとか、はるか向こうに見える階段を指差すことの繰り返し。ほとんど坂と階段歩きだ。以前、「勝手に高低差学会」と銘打ったことがあったが、ネーミングだけで突然参加者が増えた。企画ってそんなもんだ。実際高低差マニアにはたまらない、高低差を愛でるまちあるきに相成ったのは言うまでもない。世の中には「スリバチ学会」「マナイタ学会」「路地サミット」「横丁・小径/ガード下学会」などなど、まちの「!」や「?」の愛好家たちがいろいろといる。

 塩屋は坂と階段の宝庫。ここでは、石垣や植栽や緑に包まれる山の中を抜ける、そんな情緒あふれる坂段も多い。斜面住宅地の滑り落ちそうな坂を登りながら、家のアプローチの水平と坂との結節点にできた角度とギャップに驚き、その高低差をDIYと工夫を凝らし楽しむ様子に喜び、登っては振り向き景色を楽しみ、果てはずっと後ろ向きに登る……。見通しが悪く、歪曲していて、進むと景色が変わり、数歩上がれば海と山と町並みが広がるまち。登って降りて、ぜひ体感してほしい。

文・写真:森本アリ