坂について|平野拓也(平野拓也デザイン事務所)

2023.04.08

坂のある街に憧れていた。出身の茨城県は関東ロームによって平坦な土地に均され、空は高く、自転車でどこまでも行けるようななだらかな場所だった(その中にぽこっと隆起している不自然な筑波山はその土地に住む人にとっては信心深くなるのも頷ける)。大学は美大に行くと決めてから、偏差値や就職率などは目せず、自分に合う場所で決めたいと思った(そもそも実力的に選択肢は狭かったが)。「平野くんは都会は合わなそうだから、田舎に行けば」と予備校の先生に諭され、オープンキャンパスで東北は山形の美大を訪れた。幼少期は近所にホルスタインの牛舎があるような田舎育ちだから、田舎に抵抗はなかった(あえて当時の感覚で「田舎」と言います)。それよりも、原発事故で通れなくなるまで動いていた常磐線特急とバスを乗り継いで7、8時間かけて訪れた未開の土地にワクワクしていた。蔵王山脈の麓にある大学に向かうバスの中で見た山の稜線に雪がかかる美しさ、えも言えぬ荘厳さに一目で「ここに来よう」と思ったのを覚えている。入学してからの4年間、朱色の濁ったような色の安いママチャリで夏は暑く、冬は寒いだけじゃなく地面が凍るのでブレーキは効かないような坂を通学していたので辛さとベタな青春の苦さしか残っていない。でもね、登山みたいなものだったから、休憩時間に見える景色はいつ見てもご来光を拝むような喜びがあった。それから、東京、大分、そしてまた山形など色々な地域で暮らした。坂のある街や平坦な街、色々な場所に。何となく、映画でも何か起こったりするような場所、文化的な享受を受けている地形は坂が多いような気がする…。気がする…。

昔、東京に住んでいた頃、東京大学脇の弥生坂(『坂の上の雲』の題材になった近くの坂)の側に住んでいた時に、いい坂だなあと、坂について考えていたことがあり、その時のメモを探し出した。以下が書いていたことである。
①境目がある→何か作る時って条件や規制があった方が、とっかかりがあってイメージしやすい。境界があるというのは規定しやすく、イメージしやすい。街で言うと、ルールを決めやすい、団結しやすい(悪い意味で言うと、ムラ化しやすい)
②大変である→ 超えられるものがある
③宗教的価値がある(個人的には「深山・端山信仰」が好き)
④平地と高地の地理的条件から豊かな実りがある
⑤自然が近い
まあ、なんてことしか書いてなかったけど、坂好きだったんだなあ。と思い出した。その時期は、よく夜通し、東京の街を歩いて、数少ない坂道を発見しては、そちらの方に進んでいたのも思い出した。

先日、TV番組で塩屋の坂がとても急であるという特集があったらしい。憧れと現実は程遠い。塩屋の家は100mくらい歩いて50mくらい高低差がある家だった。庭もあるけど、山や森との境界線がないような家で、獣の鳴き声がよく聞こえる場所だった。毎回、息切れして登る家だったから、町に降りるのが面倒だった。だけど、確かに理想の家があった。坂上の森の中だからこその唯一の暮らしがあった。前述のように、そこだからこそできた暮らしであった。坂上では、塩屋の町並みと海が、時間と音が止まったように佇んでいて、毎回、登山のような達成感があった。
でもやっぱり大変なんだよね。坂って。運動になるって言われるけど、毎日はしんどい。ただ、偶にコーヒーを飲みに伺う仲の良かった隣の大家さんは90歳を越えててもいつも急な坂を登り降りしていた。すごいですね。って言うと、ここで暮らしてきたから別に大丈夫よ、と。昨年、仕事の関係で京都に引っ越すことになり、大家さんに挨拶に伺った。馴染んでいたし、仲良くなれたから、ずっとここに住んで、この家で子どもを育てて欲しかった。と言われた。うれしかったし、切ない。確かに、坂のしんどさはあったけど、何かを超えた先にあるこの暮らしはもうないんだと思うと今も切なくなる。あゝ、塩屋。