生きている

2024.08.22

ポートライナーを南公園駅で降りるとそこからIKEAまでは退屈な道のりだ。イヤホンを挿して1991年に垂水年金会館で吹き込まれたという塩屋音頭を聴きながら歩いた。囃子と共に詠まれる八百屋お七の物語に耳をすましながら広い店内を歩き、目当ての商品を運搬カートに入れレジの大行列に並ぶ。「十四と言えば助かるに 十五と言うたばっかりに 哀れやお七は法の罪 ヤレドッコイソコジャ ヨイヨイサッサ」北欧家具が立ち並ぶ空間と、火事じゃ火事じゃと江戸の町に響く半鐘を鳴らすお七の悲恋には何のつながりもない。音頭の歴史を調べながらずっと、戦後長い間途絶えていた盆踊りを復活させるために私財を投入し、失われた塩屋音頭を探し求めた西村五一翁の声が聞こえていたのだった。「踊らずに、本当に生きていると言えるのか?」そう問われているような気がしていた。私は想像する。このままカートを放り出して天井近くまである商品棚に駆け上がり、お七がそうしたように町中に響く半鐘を鳴らそうか。「会いたかった 見たかった わたしは別れて血を吐く思い アーヨイヨイサッサ」一度は歴史から消えた塩屋音頭と盆踊りはやがて、音頭保存会有志の執念によって息を吹き返す。私たちは歌われ、踊られない限り音頭が死んでしまう事を知った。8月、櫓太鼓が塩屋の町に響き、蒸し暑い晩夏の空気が引き締まる。音が聴こえたら、最初の一歩を踏み出そう。私たちにもう立ち止まっている時間などないのだから。まず右足を、体をひねって、左足。海へとつながる川面には盆踊りの提灯が風に揺れて映っている。「ナンジャイナーコージャイナー ヨイヨイサッサ」リズムに合わせて両の手を打った時、今はもういない者たちも、これから生まれてくる者たちも、誰もかれもが生きている、そう思った。

平民金子
文筆家・ラジオ体操アマチュア指導員

 

こちらの文章は2019年に発行された「しおやカルタ」に同梱されている解説書に寄稿された、読み札の「り」=「リズムとダンス 塩屋音頭で サマーナイト」に対して書かれた解説になります。詳しくはこちら