塩屋のおせっかいな人たち|平民金子(スプラトゥーン愛好家)

2022.09.08

 私が「塩屋」という地名を知ったのはいつだったっけ。
2017年の春に『ごろごろ、神戸2』の連載準備をしていた頃、書店の神戸本コーナーにある本を片っ端から読みあさっていて、当時新刊コーナーに並んでいた森本アリ『旧グッゲンハイム邸物語』を資料として購入した時だろうか。
いや、それより前。東京から引っ越すために神戸の賃貸物件を探していたら海近くの一軒家で家賃3万円くらいのやたら安い物件があったので電話で内見のお願いをしたら、今から考えたらずいぶん失礼な物言いだと思うが「塩屋は何もないですよ。辺鄙な所だからあまりおすすめしませんね」と言われた時ではないか。
スマホを耳にあてながら、にべもない言葉にただ「そうなんか」とだけ思って、結局私は何度か行った事のある湊川市場の近くに引っ越したのだが、あの時もし電話を受けた人が素直に内見に連れて行ってくれたらどうなっていただろう。

 初めて塩屋の駅を降りたのは、今でも月に一度行われている旧グッゲンハイム邸の無料見学会の日だったと思う。駅の山側を降りて続く、商店が並んだ細い路地を見て、昔よく通った石切神社の参道を思い出した。
その時はなんの手がかりもなく塩屋に行ったのではなく、すでに『旧グッゲンハイム邸物語』も読んでいたから最低限の町の歴史やそこに暮らす人たちの姿はイメージする事が出来た。血管みたいに伸びる細い路地を歩き、旧グッゲンハイム邸を見学し、まあミニ石切みたいでええとこや、と適当な感想を妻に伝えた記憶がある。
まさか自分がその後この場所で、生まれて初めてのトークイベントに呼ばれたり、1か月も写真展をやってもらったり、ややこしい事情が多すぎて絶対に出版できないと思っていた『ごろごろ、神戸』を本にするための作業を行うようになるとは夢にも思っていなかった。この数年、何かの節目には全部塩屋の町があった。

 何度も何度も塩屋の駅を降りて、わかったことがある。
私が本を読み、実際に関わるなかで「塩屋」や「塩屋の人たち」としてイメージする存在は、町全体からすればごく一部の、あくまでも小さなコミュニティでしかないということだ。
塩屋に住んでいても旧グッゲンハイム邸なんて知らない人もいるだろうし、名前だけは知っているけど別に興味もなく、駅のラックに並べられたイベントチラシに見向きもせず暮らしている人がほとんどだし、一秒でも早く町を出たいと思っている若い人だっているだろう。「塩屋がおもしろい」なんてひとくくりにして語るのは失礼だと思った。

 私は28歳から写真を撮り始めた。写真展をやればいいのに、と誰かから言われるたびに、実際に動くわけでもないのに鴻毛のような言葉を吐かんといてくれやと思いながら、あなたが写真を撮る以外の全部の作業をやってくれるんだったらいつでもやりますよ、と返事をしていた。そんな人間は現れへんやろうと思いながら。
2018年の秋、新開地の八喜為という飲み屋にいた。
塩屋に住む人からとても軽い調子で「写真展をやればいいのに」と言われて、またいつものやりとりが始まるのかと思いながら「写真を撮る以外の事を全部やってくれるんだったらいつでも」と返した。すると、ほんなら全部やりましょか、ほんまにやってくださいね、と言葉を打ち返されて、塩屋に住む人はその場で会場と写真展プロジェクトで動いてくれるメンバーを揃えてくれた。
めんどくさい事を全部やってくれたらおれは本気を出すと言い続けてたぶん15年。
2019年春に1か月間開催された平民金子展はそんなやりとりから始まった。

 写真展の開催からZINEの制作、書籍の出版まで。その年の私に今まで見た事がない景色を見せてくれたのが、すべて塩屋に住んでいる人だったのは偶然ではない。他府県から見ているのではわからない磁力、人を集める力や人を動かす力が塩屋にはあるのだろう。いたずらに希望を語るような物言いはしたくないので慎重に言葉を選びたいが、(とは言え投げやりにこのような言葉を発してみたい欲望に抗えず書いてしまうのだけど)もし今、よその町でくすぶっている若い人がいたら、いちど旧グッゲンハイム邸の無料開放日を狙って神戸のはしっこの塩屋の駅に降りてみてはどうだろう。そこで見たもの、吸い込んだ空気や考えたことがもしかしたら財産になるかもしれない。

 ちなみに、近年注目されているとはいえ塩屋はまだまだ無名の町だ。
今のところまだ賃貸も安いし、なんなら背伸びして中古自動車を買うくらいの値段で家を買う事だってできる。
なんて事までは教えなくてもいいか。
二十歳の頃にこんな場所に住んでいたらどうなっていただろうな。