溶けて流れりゃ|安田謙一(ロック漫筆)

2022.09.08

 JR新長田駅は普通電車しか止まらない。アグロガーデンの有線放送はいつもカントリー音楽が流れている。ベトナム料理屋ではアヒルの丸焼きを注文する。扇港湯は温度が少し高めの水風呂が気持ちいい。六花では冬もかき氷が食べられる。
お決まりになったコースを回って、新長田駅に帰る前に必ず一枚の写真を見て帰る。アスタプラザ2番街地下にあるウォールギャラリーに飾られている写真には、旧グッゲンハイム邸の管理人である森本アリさん、スタッフの佐々木俊行さん、小山直基さんの3人が写っている。最初は冷やかし気分で見ていたけれど、いつの間にか、あ、まだちゃんと飾ってる、と確認せずにはいられなくなった。
3人の友だちが、映画のスチールみたいにいい顔をして写っている。映画「砂の器」で緒形拳が田舎の映画館(館主は渥美清)に通い詰め、ロビーに貼られたある写真を何度も眺めにくる、というのがあったが、なんとなく、その気持ちがわかるような気がする。写真ってそういうところがある。悲しいことがなくても皮の表紙を開いてしまう。
旧グッゲンハイム邸にはずいぶん行っていない。出演する予定があったイベントも延期になったままだ。
2019年の8月に旧グッゲンハイム邸で「盆ボヤージュ」というイベントを行った。私を含む8人のユニークなDJがただただレコードを廻すという趣向だったが、そのシンプルさがとても愉しく、忘れられない一日になった。昼2時の開演から、夜10時までの8時間を、8人のDJがMC無しでつないでいく。30分のセットを2回繰り返す、ということなので、持ち時間は厳守しなくてはいけない。その日は酒を飲まずにタイムキーパーの役割も果たした。それでいて、開演前にはワンダカレー、短い開店時間を狙ってジパング・レコードにも寄る、という余裕もあった。周りがみなゆっくりと酔い潰れていくのを見るのも、それはそれで楽しいものだ。
盆恒例のイベントに、という誓いも虚しく20年、21年と中止となった。
一度目の公演でそれなりの集客があった。出演料などを除いて、いくらかお金が余ったものを旧グッゲンハイム邸にプールしてもらっている。それを使って、次回はクーラーでは追いつかないほどの会場の暑さに対処すべく、いくつか氷柱を買ってきて並べてみよう、と佐々木さんに提案している。荒木一郎が書いた小説「ありんこアフター・ダーク」の60年代のダンス・パーティー会場にこれが出てきたと記憶している。なんか涼しそうじゃん。
実際に氷柱を置くとなると、溶けて流れる水の処理も考えなくてはならない。バスタオル状のものを下に敷いて、それを頻繁に取り換えて、というような作業が私に課せられるのかもしれない。タイムキーパーとの兼任、ますます酒を飲んでいるわけにはいかない。
その前に心配するべきことがあるような気もするけれど、今はただ溶けた氷のことを考える。塩屋のことを考えるとき、氷の柱のことと、友だちのことを考える。

(追記)新長田ウォールギャラリーの写真はいつの間にか無くなっていた。2回目の「盆ボヤージュ」は2022年8月に無事開催され、またしても出演者全員きっちりと持ち時間を守ることが出来た。氷柱は断念したが、翌年以降への課題とする。