塩屋の 「下から見るか?上から見るか?」| 和久田善彦(編集者)

2022.09.08

 「いい家」とは何だろう。塩屋で暮らすようになって、その答えはより明確になった。いい家の条件とは即ち、家そのものではなく、環境である。毎朝、目覚めてカーテンを開けたときに最初に見える景色、差し込む光や風、四季それぞれに感じる空気。そうしたものは決して自らの手では変えることのできない、絶対的な条件である。極端な話、住宅雑誌やインテリア誌などで見かける「いい家」とか「住みたい部屋」といったものは、実のところどのようにだってできる。もちろん、創意工夫やお金は必要である。しかし環境だけは、お金で買うことも自ら作り出すこともできない。
我が家は駅から徒歩十数分程度の距離にありながら、海と山が迫るこの町の中でも、急激な坂道のある一帯に建っている。その多くが昭和30年代に建てられたであろう家々は、下から見るとまるで段々畑のようにそれぞれの家の窓が顔を覗かせている。傾斜地を大きく削って整地せずに、重なりあうように、そしてそのほとんどどの家からも海が見えるよう建てられていることがわかる。これは「いい家」を象徴する風景のひとつである。
歴史的に見て、戦争や震災の大きな被害を受けなかったことも、環境が守られてきた大きな理由だ。逆に言えば、都市開発から取り残されてしまった町。しかし今やこうした「環境」は日本国内でも稀有な存在になりつつある。過疎化した地方でもなく、しかし都会でもない。六甲山系の西端で遮断されたかのように、静かに営みが続いてきた町。そしてその環境が育んできたであろう町の魅力は、人々や商店にも表れている。環境とは、自然環境に限った話ではない。この町の独創的で文化的な生活。それは、所謂クリエイターが移住してきてクリエイトされるものではない。何十年にもわたって尽力してきた町のレジェンドが、あちらこちらに存在している。
そして坂道と狭い道。結果的にこの町には「再建築不可」の物件が多数存在する。これらは不動産価値が低いとされ一般的に手を出す人も少ないため、世の物件の相場としては非常に安くなっているのがポイントだ。インターネットで検索するより先に、まずは町の不動産屋へ行こう。そこではインターネットでは探せない物件が見つかるかもしれない。もし見つからなくても、町を歩き、住人たちとふれあえば、「いい環境」とは何なのかが垣間見えてくるだろう。そしてこの町では、不動産屋ではない人が、頼んでもいないのに「いい家」を紹介してくれることだって、多々ある。