塩屋のタオルミーナ|サラ・デュルト(シオヤプロジェクト)

2022.09.08

 「塩屋はタオルミーナみたい」と母がよく言っていた。母はベルギーに留学していた1960年代後半に友人とそこへ行ったことがあったようだった。私は訪れたことのない場所だったが、家のトイレに掛かっていた親戚一同の誕生日の書き込まれたカレンダーの、選ばれし世界名所の写真の一つだったのと、イタリアが大好きな父が夢見るような抑揚で口にしていたために、その特徴的な地名は、幼い頃記憶に刻まれた。
 イタリア、シチリア島にあるタオルミーナ、18世紀のグランド・ツアーでイタリアを訪れた北ヨーロッパの貴族の子息が、旅の土産として現地の絵師に描かせたヴェドゥータ(都市景観図)で、この世の楽園のようにあらわされていることを、その後、美術史の授業で学んだ。一時期集めていた粗い印刷の絵葉書では、嘘みたいなトルコブルーの海に毒々しい緑の竜舌蘭が生える、くらくら眩しいような場所だった。
 イタリアに留学した1999年の冬に初めて実際にタオルミーナを訪れて思った。やっぱりタオルミーナの方がずっとずっとすごい。塩屋なんて、足下にも及ばない。海を望む山肌に町が広がり、海に突き出た崖の上に造られた円形のギリシャ劇場は、傾斜を利用した観覧席から舞台越しに長く続く海岸線とイタリア屈指の活火山、エトナ山と広がる裾野が一望の下に収められる絶好のロケーション。月とスッポン。同じように海辺の町だけど、塩屋とは比較にならない美しさだった。

 最近改めて、かつてトイレに掛かっていた誕生日カレンダーを探し出して確かめたところ、写真に写し出されたその土地(写真A)には、海と切り立った断崖があり、竜舌蘭は生えているものの、めぼしいランドマークはなく、そこがタオルミーナだという確証は得られなかった。どうしてタオルミーナだと信じていたのだろう?記憶なんて当てにならない。
 昨年から新たに開墾しはじめた斜面地で母が、「二丁目はギリシャのエピダウロスみたい。下の◯◯さんの家の庭(写真Bのシュロ椰子の左の電柱の左下の空き地)が円形劇場の舞台になるから、あそこで劇をするのをここから観たい。」と言いはじめた。あれ? タオルミーナではなくエピダウロスですか? 私はギリシャには行ったことがない。シチリアの美しい町の名前を歌うようにつぶやいていた父はもういない。
 調べると、海が舞台背景となるような円形のすり鉢状の劇場は、エピダウロスよりもトルコのアソス遺跡にあるようだ。いつか機会があれば行ってみたいものだ。程度の差はあれ、「塩屋はタオルミーナ」、そんな風に思うのは楽しい。塩屋にはそんな場所がいっぱいある。