塩屋駅の海景|佐藤真理(アートマネジメント業)

2022.09.08

 塩屋に住んで、6年ほどになった。
味わい深いまちを楽しみたい気持ちはあるものの、ズボラな気持ちの方が強く、散歩、山登り、まち歩き、は年に数回にとどまっていて、近年増えてきたお店たちも、知人友人が来たら一緒に行く程度で、あまり行けておらず、家にいるか、塩屋の外に出かけている方が多い。買い物も行き帰りのついでにしてしまう。塩屋の良さを堪能できている感覚は薄いのだが、なんだか住み心地がよく、自分が塩屋に馴染んできた気がしている。

 仕事の場所や内容は、数年の間でころころ変わったが、塩屋駅から三宮方面の電車に乗って働きに出るのは変わらない。朝、改札に入って左の階段を降りて、少し進むと建物たちの間に海が見える。もちろん電車に乗ってからのほうが盛大に見えるが、窓越しだし、乗って海側の見える席に座れるとは限らないし、車窓の前に人が多いかもしれないし、乗ると携帯を見たり寝たりして、数秒前の海への意識など忘れていることも多い。

 その、ホームから見える少しだけの海の、日々、季節ごとに違う顔を見るのが、なかなか楽しい。
青かったり、緑色だったり、灰色だったり。
冬の朝に黄金色にきらきらしている感じは、とりわけ良い。

 ある人の戒名に、海の字が入っていた。お坊さんが、故人は海が好きだったということなので、と言っていた。釣りが好きなのは知っていたが、海が好きかどうかは知らなかった。聞いた時、なんだかそのことが頭の端に刻まれた。

 塩屋に引っ越した時、海の近くのまちにいること、海の見える部屋に住むことが、ちょっとした弔いになるかなと思った。前述の通り、海についてすぐ忘れるのと同様、弔いの意識も忘れていることが多いが、海が視界に入ると、たまに、頭の端のそれが顔を出す。まあ、6年も住んだし、ある程度、弔いはできたことにしてもいいのではないか、と思うことにしている。

 今、仕事先も遠いし、家の老朽化により、引越しの必要が出ているが、なんだかまた塩屋の中で家を探している。