塩屋のしーちゃん観察6年|加納千尋(写真家)

2022.09.08

 塩屋には外をうろうろしている猫が多い。誰かが道に置いた猫ごはん処もあちこちで見かける。駅前の猫たちは人馴れしているが、少し坂を登ったうちのあたりの猫たちは警戒心が結構強い。飼われていなくとも公園の周りに世話をしてくれる人が住んでいて、ちゃんと太っていたり、避妊去勢済みの印の耳カットが入っていたりする。
しーちゃんもその中の1匹だった。2016年の夏に私が塩屋に引っ越してきた頃から、家の周りに出没しては一定の距離からにゃーにゃーと何事か話しかけてきたまるく小柄で野良なのに綺麗な毛並をした猫。胸にちょこんと白い模様がある黒猫なので最初は白シャツというあだ名で呼んでいた。
その程度の関係が一年ほど続いたある日、道の掃除中にまた話しかけてくるので適当に返事をしながら箒で掃いていると、急に足元にすり寄ってきて一瞬だけ撫でることができた。その日を境に徐々に接触が増え、毎日うちに撫でくりまわされに来るようになり、家人との間での呼び名は「白シャツ」から「しーちゃん」という愛称にいつしか変わり、しーちゃんの様子を報告し合うのが習慣になった。

 しーちゃんはよく鳴く。感情を声で表現するのがやたら上手く、基本的に鈴を転がすようだけれども、不満があると低い声になる。高低だけでなく様々なリズムを駆使して微妙な要求を伝えてくる。喋っているようにしか思えない時もある。時々朝に遠くから誰かに甘える声が聞こえてきて、やっとるなー、と思う。あるお宅では「みーちゃん」と呼ばれ、やはりとても可愛がられている。いじめてくる人の顔を見ればすぐ逃げる。
しーちゃんになる前からみーちゃんでもあったこと。仰向けになると胸以外にも白い部分が見えること。ものすごく毛繕いが丁寧なこと。春はトカゲ、夏はセミをいじめること。他にもたくさんのことを、ひとつひとつ知っていった。出会った時から大人で一匹で生きていたしーちゃんは、きっとまだ未知の面をいくつも持っている。彼女は自律した個の存在で、こちらが面倒を見ているというより、ただテリトリーを共有しているという感じがする。
季節や天気によって好きな場所を選んで昼寝をし、庭にほかの猫が入ってくれば全力で追払い、気が向けば馴染みの人間に会いに行く。そういう選択肢の豊かさと自由さが彼女の知性を育んだように思う。それは塩屋の車が入ってこない細い坂道だからこそ可能だったのかもしれない。