塩屋を走るコミュニティバス「しおかぜ」に乗ってわかったこと|スズキナオ(ライター)

2022.09.12

塩屋には何度も行ったことがある。と言っても、そのほとんどが旧グッゲンハイム邸で開催されるイベントに参加するためで、町の中を歩いた経験となると数えるほど。それも駅周辺を軽く散策したぐらいである。

そんな私だから、「しおかぜ」というコミュニティバスが塩屋を走っていることは、まったく知らなかった。旧グッゲンハイム邸の管理人・森本アリさんの話で初めてその存在を知り、「『しおかぜ』に乗ったら塩屋の町の面白さが体感できるかもしれません」というようなことを言われて「じゃあ乗ってみるか」と思った。

朝9時、私は塩屋駅前にやってきた。取材日は3月1日。いかなご漁の解禁日で、駅前の鮮魚店「魚一」には行列ができている。価格は1㎏あたり3,000円ほどとのことで、ここ数年、不漁傾向が続いて高騰しているらしい。昔は身近なものだったのが、今ではかなりの高級魚になっているという。

私には手が出ないな……と思いつつ、「しおかぜ」の乗り場へ向かう。今まで気づかなかったが、塩屋駅の改札を出てすぐの場所に案内板があり、「しおかぜ」のルートマップ、時刻表が掲示されていた。

ルートマップと時刻表が載ったペーパーが無料配布されていたのでそれを受け取っておいた。

最寄りの「しおかぜ」の乗り場は駅から徒歩3分ほどの近さだ。山陽タクシーの待合所との兼用になっている。

到着を待つ間に、基本的な情報をメモしておく。「しおかぜ」の運行は月曜から土曜で、日曜・祝日は運休となっている。乗車料金は大人300円、小学生200円、未就学児は無料とのこと。乗客定員は9名。運行ルートにはイオンやマルアイがあるジェームス山の方へ向かう「西ルート」と、塩屋北町方面へ向かう「東ルート」の二つがある。午前9時台から午後4時台までの「日中便」と午後5時から午後7時までの「夜便」があり、「夜便」は限定的なルートで走るようだ……と、ルートの時間帯の部分が少し複雑に感じたが、とにかくまずは来たバスに乗ってみることにする。

最初に乗ったのは「西ルート」を走るバスだった。乗客は私を含めて5名ほど。乗車時に運転手に行き先を告げるルールになっていて、「イオンまでお願い」「マルアイまで」と、買い出しに行くために利用している方が多いようだった。出発すると間もなく、道は一気に上り坂になる。急な斜面や階段が山に沿ってうねるように伸びているのが窓から見える。


いくつもの停留所を通りながらバスは15分ほど走り、「西ルート」の端である「マルアイ ジェームス山店」に停車した。私もここで一度下車してみることに。

駐車スペースから改めて「しおかぜ」の車体を眺めてみる、車の両側のデザインが異なっていることに気づく。どちらも一般公募で集まったデザインの中から選ばれたものなのだとか。

「マルアイ」をのぞいてみることにした。「マルアイ」は兵庫県加古川市に本拠を置くスーパーマーケットチェーンで、朝からすでに買い物客で賑わっていた。ここでもいかなごが売られていて、人々が「今日からかぁ」「ええ値段やな」などと話しながらそれを眺めている。その隣にはいかなごを水洗いするためのステンレス製のザルや、くぎ煮の保存に適した形のタッパーが売られていたり、「マルアイ風いかなごくぎ煮のつくりかた」と題したレシピが配布されていたりして、地域の方々のいかなご愛を感じる。

店を出て、そのまま周辺を散策してみることに。塩屋駅に掲示されている広告でしか見たことのなかった「ジェームス山自動車学院」の前を通り、「ここにあったのか!」と謎の感慨にふけったりした。
それにしても、歩いていて感じるのは土地の高低差の激しさだ。ジェームス山周辺には大きなマンションがいくつも建っているが、その脇道を入ると驚くほど急な下り坂が現れ、降りてみると行き止まりになっていたりする。



足を踏み外しでもしたら、そのまましばらく転がっていきそうな坂、坂、坂。スリルを感じながら徐々に下っていくと、「しおかぜ」のロゴマークが見えてきて、そこが「下代公園」の停留所だとわかった。時刻表を見るに、もうすぐバスが来るようだ。

しばらくして現れたバスに乗ると、運転手は先ほどと同じ人で、なんと今から「マルアイ」の停留所まで行くところだという。おっかなびっくり下ってきた坂を、また再びバスに乗って登っていく。終わらないループにハマりこんでしまったかのようでちょっと笑えた。

バスは「マルアイ ジェームス山店」の停留所にしばらくの間停車した。「しおかぜ」に乗って塩屋を散策している旨を伝えると、運転手さんが「このバスはこれから塩屋駅前を経由して東ルートへ入りますので、そこまで乗っていかれてはどうですか?」と提案してくれた。朝から重たい曇り空が広がっていたのだが、ついに窓に雨粒が落ちてき始めた。提案してもらった通り、ここは東ルートの端まで乗せてもらい、とりあえず「しおかぜ」の全ルートを走破(というか私は乗っているだけだが)してみよう。

その停留所からの乗客はおらず、しばらくは私一人がバスに乗り、雨のドライブに連れ出してもらっているような贅沢な気分を味わった。バスが塩屋駅前から今度は東ルートへ入り、塩屋台方面へ向かう。ジェームス山方面も急な坂だと感じたが、塩屋台付近はそれに輪をかけたような急勾配だ。さらに道が入り組んでいて細く、向かいから車が来ればすれ違うのもやっとという感じである。その都度、運転手さんが向こうの車に向かって手を上げ、「ありがとうございます!」と声をかけている。

雨模様ゆえか他の乗客はなかなか現れず、そのため、運転手さんのお話を少し伺うことができた。「しおかぜ」は2台の車輌で運行されており、一つの車輌に一人の運転手さんが乗って朝から夜まで走っている。その一人、畑邦信さんにお話を聞いた。

畑さんはもともとタクシー乗務員をしていたそうだが、5年前に「しおかぜ」がテスト走行を開始して以来、これまでずっと運転手を務めてきたという。

――それにしてもこの塩屋台のあたりはすごい坂ですね。これはバスがないと困る人が多いでしょうね。

「この辺が一番大変なんです。タクシーの運転手さんでも『塩屋台まで』と言われたらちょっと困るような道なんですよ」

――昔ながらの住宅が多いような感じですね。

「そうです。この辺りはお年寄りの方も多いです。だからこそ、このバスが走る意味もあるんですがね。ここから北町の方に入ります。そこからは新興住宅街になって雰囲気がまた変わります。道も広くなりますよ」

――運転手さんは、「しおかぜ」に乗る前はタクシーを運転していたんですか?

「そうです」

――かなり勝手が違うものですか?

「タクシーは一期一会っていうかね。違う人を乗せて違う道を走りますけど、それがこっちは同じ町ですから、人間関係ができていくでしょう。そういう楽しみはありますね。それに、この車にはナビがついてますけど、ナビに頼って走らなくてもいいですから(笑)道はもう、わかってますからね」

――なるほど、きっと毎日利用される方もいるわけですもんね。

「そうなんです。お客さんも私も顔をおぼえますからね。それがコミュニティバスの面白さでしょうね。前にね、私の娘が新潟に嫁いでいて、私もそっちの方に移住してまして、新潟に妙高高原っていう場所があるんですけど、その近くで、やっぱりコミュニティバスをやってたことがあるんです」

――そうなんですか。そっちも割とこういう地形だったんですか?

「まあ、でも、道はだいぶ広かったですよ。限界集落を結んでいるようなバスでしたね。コミュニティバスの車輌を使って、スクールバスなんかもやりましたね」

――それで引っ越してきて、今は塩屋で走っているわけですね。

「そうなんです。塩屋は面白い町だと思います。奥深い町だと思いますよ。地域によって雰囲気が違うんです。須磨浦山上遊園の裏手にあるような位置なので、旗振り山から下りてくる方もいますね。天気がよければあちこちから海が見えるんですけど、あ、ここは『ダイレックス』と言って、ホームセンターのようなドラッグストアのようなスーパーで、割りに新しいんです。佐賀県のチェーンらしいですね」

――へー!大きなスーパーですね。確かにここら辺は道も広くてさっきまでとはまた違いますね。

「そうでしょう。では、また塩屋駅の方へと向かいます」

――(塩屋台あたりを通過しながら)いやしかし、本当に急で狭い道ですね。特にこのあたりは高度な運転技術が要求されそうな。

「なかなかの難所ですね。こういう道ですれ違う車も、また会う人ですから。お互い譲り合って、もちろんちゃんとお礼をしてね。悪く思われてはいけませんから(笑)」

――乗ってくる人もすれ違う人もきっと地元の方なんですもんね。それはコミュニティバスならではのことですよね。

「このバスに乗られるのも、ほとんどが地元の方ですから。はい、もうすぐ塩屋駅です。これで全体像がお分かりになったでしょう」

――ありがとうございます!ドライブ気分を味わえて贅沢でした。

私は塩屋駅前から改めて西ルート行きに乗車し、「中野センター前」で下車した。かつてはショッピングモールのさきがけのような場所だったという「中野センター」に、一軒だけ営業している「ライオン」という喫茶店があり、そこに立ち寄りたかったのだ。

「ライオン」へは数年前、友人に教わってコーヒーを飲みにきたことがあった。ドアを開けると、その時と変わらず、古いゲームを内蔵したテーブルとカウンター数席の空間が広がっていた。

ランチタイムの軽食類はすべて600円。この日のおすすめは「すき焼き」とのことで、それをいただくことにした。小鍋に入ったアツアツのすき焼き。溶き卵にひたして食べたお肉はとても柔らかく、「これが600円とは!」と感謝したい気持ちになる。

お店を出て、またしばらく歩くことにした。徐々に雨脚が強くなってきたが、一部の好事家の間で「塩屋のパルテノン神殿」と呼ばれているらしい、「塩屋谷川放水路」前に立つ流木止め用の柱を眺めに行ってみた。

その近くの真田山を抜ける道を通ると、いきなり住宅街広がっていて、こうして短い距離で風景がどんどん変化していくのが塩屋の面白さだと感じた。


「塩屋台公園」の停留所にたどり着いたので、そこから「まつざきクリニック前」という停留所まで、再び「しおかぜ」に乗った。私が行き先を告げると、乗客のひとりが「今、病院は休憩時間ですよ」と親切に教えてくださった。「あ、病院に行くわけではないんです」と答えた私の目的はその近くにある「乙姫神社」という神社だった。

そこは竜宮伝説が伝わる神社だと事前に聞いており、見に行ってみようと思ったのだった。が、辺りを歩けど歩けど、それらしき場所が見当たらない。住所を検索しようとスマートフォンをいじっているうちに、なんと充電が切れてしまった。道をたずねようにも通行人の姿がない。そうこうしているうちに雨がいよいよ激しくなり、上着を通して中に着ているトレーナーまで濡れてくる始末。かなり体が冷えてしまったので、一度避難しようと、さっき運転手さんが教えてくれた「ダイレックス」というスーパーに入る。

とにかく少しでも体を温めようと店内を見て回っていると、ここでもいかなごが販売されていた。やはり1㎏3,000円ほどだが、その中に1パックだけ、半量入りでおよそ1,500円の値がついているものがあった。量が半分なのだから当然なのだが、1,500円なら手が出そうだ、というか、ここでこれを買えば、ずぶ濡れになって歩いた意味も少しはあったような気になるじゃないか。

いかなごを買い、さらにその近くにある農産物直売所「めぐみの郷」で美味しそうな白菜や大根を購入。謎の買い物心に火が付いてしまった。その結果、エコバッグの持ち手が肩に食い込むほどの重さとなった。

雨の中を歩きつつ、「しおかぜ」の停留所を探す。ほどなくして「塩屋北小学校」の停留所が見えてきた。しかし、私はここで思った、この重たい荷物を担ぎ、塩屋台付近の高低差を自分の体で体感してこそ、ようやく「しおかぜ」のありがたみがわかるのではないかと。

下校時間になったのか、近くの小学校からたくさんの子どもたちが出てくるのが見えた。小学生たちの足取りの軽さを少しは見習おうと、私も歩く。白くかすんだ視界の向こうに明石海峡大橋の主塔が高くそびえるのがうっすらと見える。

足を滑らせぬよう慎重に階段を下り、塩屋台公園にある大池のほとりを歩く。


運動不足気味の私の膝はとうにガクガクである。


ようやく、塩屋駅周辺の商店が立ち並ぶあたりまで戻ってきた。

田仲とうふ店の豆乳を飲むと、失われた体力がみるみる回復していくように思えた。


名物の「ゆし豆腐」や「とうふスティック」を買うと、おからをたくさんサービスしてくださった。豆乳ですっかり回復した私にとっては、おからの重さは筋肉を鍛えるためのありがたい負荷のように感じられるのだった。

とはいえ、塩屋北町あたりから塩屋駅前まで歩いて戻って来ただけでも相当疲れた。ドライブ気分で「しおかぜ」に揺られていたあの頃の自分がずいぶんと幸せ者に思える。

塩屋駅から電車に乗って家に戻り、早速、買ってきたいかなごをバッグから取り出した。半日ほど「しおかぜ」に乗っていた中で、乗客の方々がいかなごの話をしているのが何度も聞こえてきた。印象に残ったのが「私、くぎ煮も好きやけど、釜揚げ好きやねん。いっくらでも食べてまうわ」「ああ、釜揚げ美味しいなぁ」という会話だった。いかなごと言えばくぎ煮だと思っていた私にとって、それはすごく新鮮に響いた。

私もそれにならい、釜揚げにして食べることにする。たっぷりの水を沸かして塩と酢を入れ、身をくずさぬように優しく煮ればいいらしい。たまらなく香ばしい湯気が立ち、ポン酢をかけて食べてみると、ふっくらした歯ごたえで、うなるほどに美味しい。

「しおかぜ」に何度も乗ったり、雨に打たれて歩いたりした一日の終わりに、こんなご褒美を得た。ちょっと待てよ……この釜揚げ、田仲とうふ店の「ゆし豆腐」に乗っけて食べたらどれだけ美味しくなるんだろう……。

天気のいい日に今度こそ坂の上から塩屋の町並みと海を見渡そうと、そう胸に誓いつつ、私の優雅な晩酌はスタートしたのだった。