塩屋とゴミ|木下直之(美術史家)

2022.09.23

 知らない町を歩く楽しみのひとつに、その町から出るゴミがどんなふうに分類されているかがある。人が食べては出すことを毎日(ではない人も含めて)繰り返すように、町もまたさまざまなものを取り込んでは排泄している。ゴミ集積場はそれらが町を離れる最後の場所だから、ついつい見入ってしまう。
塩屋には一九八一年の秋から九七年の春まで暮らしたから、かつてはよく知る町だったが、今は知らない町になった。少し前に、最新のゴミ事情を探って歩いた。
どんな町もゴミの分類は同じだと思ったら大間違い。「ゴミ」と「資源ゴミ」と「資源物」がある、あるいは「燃えるゴミ」と「燃やすゴミ」がある、と書けば、その微妙なニュアンスをわかってもらえるだろう。前者での「資源ゴミ」と「資源物」の境界線は曖昧だし、後者には自動詞か他動詞の違いがあり、「燃えるゴミ」はじっと見ていると燃え出しそうだから、目が離せない。
そういう趣味が身についたのは、間違いなく塩屋に暮らしていたころで、車はないのに子どもは三人もいたから(妻は一人、愛人ゼロ)、休みの日は塩屋の町を、たまに遠出をして垂水に行くほかなかった。今は三人の子どもの父親になって車で家族サービスに余念がない息子が、塩屋小学校に提出した作文に「ボクの家の休日の楽しみは垂水に歩いて行くことです」と書いて、塩屋人の涙を(一部の心無い人たちの笑いを)誘った。
そんなある日、捨てられた仏壇を見た。次の日も見た。その次の日も見た。いつまでもそこにあるから、家族で見に行った。そして理解したのは、それを動かしてはならない目には見えない力が働いているということだ。中には位牌も仏像もなく、もはや仏壇ではなく、単なる木箱に過ぎなくても、それは仏壇であることを主張し続けている、ような気がした。
これが当時の我が家のレジャー(すでに死語か)、レクリエーション(語義は仏教に通じそう)、極楽、いや娯楽であったのだから、休日だからといって塩屋を離れる必要はなかったし、だからこそ垂水への旅は「遠出」だったのだ。記念すべきこの写真は、私家版写真集『シオヤライフ』に載り、その後何度も私の本を飾ることになる。
ようやく本題に入るが、ジェームス山で「荒ゴミ」という文字を目にした。「今日は荒ゴミだよ」などと口にしてゴミを出した遠い日々が一気によみがえった。ほとんど絶滅危惧種である。これに匹敵する分類は、鹿児島県指宿市で発見した「チリ」だけだ。