『平家物語』は塩屋文学か。

2023.09.23

『平家物語』(鎌倉時代)

『平家物語』で有名な一ノ谷の戦。鹿が駆け下りることができるなら、馬もいけるとばかりに平家の陣の裏山から奇襲をかけたという有名な「坂落とし」。これが、鵯越なのか鉄拐山なのかは、筒井康隆「こちら一ノ谷」(1975)でも依然として争われているのでここでは一旦置いておくとして、問題は「塩屋」である。

巻第九「一二駆(いちにのかけ)」は、源氏の軍勢のうち、土肥実平が率いていた七千余騎の先を越して手柄を挙げようと、奇襲をかける義経勢三千騎の中でも熊谷直実と平山季重が、それぞれ我先に一ノ谷の先陣をきるため探りを入れながらそおっと相手の裏をかく場面である。

「主従三騎うち連れ落さんずる谷をば弓手に成し馬手へ歩ませ行くほどに年比人も通はぬ田井畑といふ古道を経て一谷の波打際へぞうち出でける」に続いて、「一谷近う塩屋といふ所あり」というふうに「塩屋」は出てくる。

現代文だと、「(熊谷)主従三騎は、下りようとする谷を左に見て、右へ馬を歩ませていくと、普段人も通らない田井畑という古道を経て、一の谷の波打ち際に出た」に続いて出てくる「一の谷の近くに塩屋というところがある」だから、これはもう間違いなく塩屋である。多井畑と一ノ谷に近い「塩屋」は、地名の塩屋である。

実際のところ、味方同士で、先を争って平家の陣に討ち入る順序を競う話で、夜が明けるまで七千あまりの兵を率いて「一谷近う塩屋といふ所」に待機していた土肥次郎実平に気付かれないように、「熊谷夜に紛れて波打際より其処をばつつと馳せ通り一谷の西の木戸口にぞ押し寄せた」のである。そのうえ、熊谷直実、息子の小次郎直家と「武蔵国の住人熊谷次郎直実子息小次郎直家一谷の先陣ぞや!」と名乗っても最初は相手にされない。夜通し外で待たされて、ようやく平家方が迎え撃つために開けた門の中に一番に飛び込んでいったのは、熊谷父子ではなく、後からやってきた平山季重。なんだかあさましい。

結論:「ばつつと馳せ通る」町、塩屋。通り過ぎる町、塩屋上等。