『好色一代男』は塩屋文学

2023.09.23

『好色一代男』(井原西鶴・江戸時代前期(1682))

(吉行淳之介訳本の解説としての林望の文章が、とりわけ塩屋の出てくる一説について詳しく書いているので、まずはそれを引用)

古典文学の「理解」というのは、ただ古語を現代語に置き換えただけでは、何も理解したことにならぬ。その一つ一つの言葉の背後に、どんな「現実」が横たわっていたか、それをイメージとしてありありと思い浮かべるのでなければ、その面白さも味わいも、とうてい心に沁みるものでない。そういう「典拠」や「現実」との格闘は、この物語を現代語訳しようと試みる場合に、どうしても避けては通れないところではある。

ちょっと実例を以て考えてみよう。

巻一の六「煩悩の垢かき」の章。

物好きにも罪無くして配所の月を見んとて、はるばる須磨の浦までやってきた世之介が(つまりわざわざ須磨の浦くんだりまで下ってくるという設定そのものが、『源氏物語』や『平家物語』、行平流謫伝説、あるいは能の『松風』などのパロディになっているのであるが)小舟に乗って和田御崎というところを見巡り、角の松原、塩屋という所までやってくる。

「角の松原、塩屋という所は敦盛をとつておさえて熊谷へ付ざしせしとなり。『源氏酒とたはぶれしも』と笑ひて海すこし見わたす濱庇に舎りて・・・・・・」

この文章一つにしても、難物である。もともとこの辺りは、『平家物語』で熊谷直実が平敦盛を取り押さえて突き殺した所、という故事を引き合いに出して「敦盛をとつておさえて熊谷が付ざしせし」といい、その実は熊谷盃と呼ばれる大盃で酒を突きつけて無理強いして飲ませる、というほどの意味に読み替えている。その上で、だからこの辺りでは「源氏酒」って遊びがあるんだなあ、と言って一同が笑ったというのである。ところがその源氏酒というのにもまた二通りの意味があって、一つは源平両軍に分かれての飲みっくら、もう一つは『源氏物語』の巻の名を付けて酒をやりとりするという遊びであったらしい。と、こうなるとこんどは急転直下『源氏物語』須磨の巻の世界が彷彿としてくる。

目前には秋冷の須磨の浦、天上には皓々たる月影、そして敦盛の故事、源氏須磨流謫の面影、そういうさまざまのものをイメージとして重層的に思い浮かべて欲しいと、西鶴は言っているのに違いない。そのイメージを思い浮かべると、ここはまさに風流な遊興の極みというべきところ、その風流を知る粋仲間たちが集まっている場面だからこそ、愉快がって「笑った」のである。

そのすぐ先のところに、一人寝は寂しいからとて、所の若い海女を床の伽に呼ぶというところがある。呼んでみると、やってきたのは、髪も梳らず、顔には白粉っ気もなく、振り袖の反対の田舎臭い小袖、裾の短い着物を着ている、しかもプンプンと磯臭い匂いのする女がやってきた。とある。

これらは、豊かな黒髪を流麗に梳って簪などの飾りも美々しく、白粉をたっぷりと塗って大振り袖を着、お引きずりの長い上着をびらしゃらと引きずって歩き、その着物には高価な香をたきしめてプンプンと匂わせている、という島原の太夫たちの風俗の、いわば「正反対」の姿であったということを感じ取らなくてはいけない。

それで、普通だったら遊女に戯れるときは強精剤の地黄丸などを飲むのだが、これは気付薬の延齢丹(仁丹のようなもの)を含んで我慢している、というわけである。このパロディの面白さを味わうには、その大本の太夫風俗を知らなくては何もならない。

というわけで、その次のところに、

「『昔し行平何ものにか足さすらせ、しんきをとらせ給ひ、あまつさへ別に香包・衛士籠・しやくし・摺鉢、三とせの世帯道具までとらせけるとよ』と」

と書くのである。ここでこんどは目前の海女の風俗から、海女の姉妹松風村雨を寵愛したという在原業平を持ち出して、「いったい何だってまた行平って奴は物好きにもこんなのをかわいがって、都ぶりの諸道具から、三年暮らした所帯道具まで贈ったわけなんだろうねえ、と」というふうに、「と」でプツッと文章が中止されているように見えるところがある。

この「と」の先には何があるかというと、おそらくは、その前のところで、源氏酒を持ち出して皆が風流がって「笑った」というのをここにも響かせているのであろう。つまり、「と、その又の日(に笑って)、兵庫まで」というふうに次に続いていく語勢である。

吉行さんの訳は、そのあたりは別に何も説明していないけれど(余計な註釈沙汰はしないというのが吉行さんの方針なのだからしかたない)、ただ、ここについて、次のように「訳者覚え書」で述べている。

「つまり、辟易してその女を帰したとも考えられるが、その女と寝た、と私は読んだ。世之介ともなれば、こういうときに避けてはいけないのです」

(以上、引用)

コメント

好色一代男の世之介は、小舟を借りて和田岬をめぐって、角の松原(角(すみ)→隅(摂津の隅)→須磨の松原のことだろう。角(つの)の松原だと、今の西宮市の海岸辺りの地名を指すようなので、だいぶ遠回りしているのではないか、と心配になる)を経て、塩屋へ来たらしい。

浜辺の小屋に宿を取り、京都から持ってきた「舞鶴」「花橘」という銘酒の樽の口を切って飲み始めるが夜が更けると独り寝が淋しくなって、女を呼ばせてみれば、やってきたのは、髪に櫛も挿さず、化粧もしていなくて、袖小さく裾短い着物を着て、きわめつけに「わけもなく磯臭い」(!)塩屋の女。気持ちが悪くなりそうなので、延齢丹(江戸時代に一般に常用されていた健康常備薬)を飲み、胸を押さえて抱いたという。世之介、ときに齢12歳。なんたるませガキ。

『平家物語』をコケにして、『源氏物語』を混ぜっかえし、謡曲『松風』を踏まえ、都から流れてきた風流な男を気取りつつ、在原行平が懇意にし、「足をさすらせ、憂さ晴らしをし」た末、3年間の家財道具一式を形見に取らせて捨て去った松風村雨の姉妹(多井畑の村長の娘、もしおとこふじと伝えられる)も磯臭い娘だったろうと嘯く世之介こそ笑止。ワイルドな髪型で、ノーメイク、つんつるてんの着物で磯臭い塩屋の女、上等。