タイトルからして「塩屋文学」である確証が持てた『ジェームス山の李蘭』

2023.09.23

『ジェームス山の李蘭』(樋口修吉1983)

プロローグは次のようにはじまる。

「一九八二年の冬、神戸のジェームス山の麓で、火事が発生した。黄昏どきの突風に吹きあおられて、火元の古びた洋館は、たちまちの内に焼け落ちてしまったが、折から降り始めた激しい雨と、すぐさま駆けつけた地元の消防署員の手際よい消火作業のお陰で、他家に延焼することなく、被害は火元の一軒家だけであった。そして焼け跡から、一人の女の焼死体が発見された。中国人で、その名を李蘭といった。

正式には神戸市垂水区塩屋町西ノ田という地域に建っていたその洋館建ての二階家に、八坂葉介は李蘭と一緒に四半世紀近く暮らしていた。

その昔、カナダからやってきたジェームスという英国人の貿易商が、その界隈を開発して、自分の邸のほかにも五十軒ばかりの洋風貸家を建てたことから、いつしかあたり一帯ジェームス山と呼ばれているが、李蘭の名義になっていたこの建物は、ジェームスが来日する以前の昭和の初めに建てられていて、その土地の草分け的な存在だった。

李蘭が住んでいた二階家は、敷地二十五坪、建坪二十坪足らずのこぢんまりとしたもので、本来は、大邸宅に付随する車庫兼お抱え運転手の住宅として建てられたものであった。

一階が車庫、二階が住居となっている頑丈なだけが取り柄の建物だったが、それでも屋根には赤い洋瓦がふかれ、洋風の煙突もついていた。

隣接していた母家は、戦時中に取り壊されて、しばらくは広大な空き地だったけれども、今では三方を充分な緑にかこまれた白亜のマンションが聳えている。」

上記以外の場所でも李蘭の暮らした家が丹念に描写される。1960〜70年代のジェームス山、その後一時荒廃した洋館群を覚えている人にはイメージが思い浮かびやすいかもしれない。あれ、この「白亜のマンション」ってルネのこと?など、現代の景色と結びつくところもある。第36回小説現代新人賞を受賞し、1983年の直木賞候補にもなったという樋口修吉この官能ロマンスの舞台は大部分が横浜で、ジェームス山はプロローグと第四章の後半にしか出てこない。主人公の二人が「入念な打ち合わせをしてから鏡を幻の観客に見立てて」映画の名場面を上映する(要するにカップルで映画コスプレして鏡に映す)濃密な愛の空間としての建物の描写が細かくて読み応えがある。

李蘭を名取裕子が、その相手となる葉介を東幹久が演じる同名の映画が1992年に制作されている。そういえば、中学の時、「東幹久見たー!!きゃー!」的な声を聞いたような、聞いてないような。

消防士が消防車に乗り込むときのように、2階から階下のガレージへ、暖炉の中(!)のポールを伝って移動できる家の様子が、映画でも忠実に再現されていたように記憶する。(数年前に取り壊されてしまった旧ジェームス邸の門番小屋がそのようなつくりだったように思うのは多分私の勝手な脚色。そもそも実際に入って見たことないし。)なお、「塩屋町西ノ田」という地名は、現在では塩屋町6丁目の西ノ田公園に残るのみ。

2001年に亡くなったという作者のあずかり知らぬところだと思うけれど、2021年に復刊されている、今最も手に入りやすい徳間文庫のカバーの表紙が携行するには若干恥ずかしいと思うのは私だけ?