『李歐』は塩屋にヨットハーバーを作ってくれた。

2023.11.17

高村薫の『李歐』は、1992年3月、講談社より刊行された『我が手に拳銃を』を下書きにあらたに書き下ろしたもの。昨今のハードボイルド小説というのは男同士の友情と愛を描くものなのか。美貌の殺し屋・李歐のことを忘れられない吉田一彰は拳銃の部品を作って暴力団の組長である原口に供給している。彼との子どもを産んだ母親はあっさり爆死してしまい、物語の最後は、中国の桃源郷のような楽園で、李歐と一彰と彼の子が農業労働者にかしずかれて暮らす大団円。殺しが繰り返されないであろう安心感はあるものの、どうも釈然としない。

さて、そんな個人的な感想はさておき、ここに出てくる塩屋は、暴力団組長の、射撃場を備えた豪邸のある無人島へ行く舟を出す港。一彰と原口の関係は、刑期の重なっていたムショ暮らし中に培われた。拳銃への愛が二人を結びつけたのだ。

「昨日の金曜日は、午後六時に工場を閉めた後、電車で須磨海岸の先の塩屋まで行き、原口達郎のクルーザーに乗った。原口は、広島県沖の芸予諸島の外れに無人島を所有していて、そこには専用の桟橋と自家発電設備の付いた豪勢な別荘がある。周囲五キロの原生林の山しかない島は、一番近い弓削島からも五キロぐらい離れており、島々を行き来する定期船の航路からも外れていて、島の南三十キロの沖合には愛媛県の海岸線が見える。」
とあるから、本来なら広島県沖の無人島を特定する方が楽しい作業なのかもしれないが、ここでの重要事項は塩屋。大阪・姫里の町工場から電車で、地理的に正しく西へ移動している。

「初めて島へ行ったのは五年前で、そのときも夜だった。(中略)その場で座卓に並べた拳銃二丁とブッシング十個をナプキンで包み、用意させていた料理を折りに詰めさせて、弁当と酒と拳銃持参で、しかも普段のベンツではないハイヤーで、原口は一彰を塩屋のヨットハーバーへ案内した。そこには買い換えたばかりだという大型のクルーザーがあり、一彰は生まれて初めて乗った船で夜の瀬戸内海へ連れ出された。」
原口が常人とは異なる経済感覚の持ち主であることはぷんぷん匂ってくる。野暮を承知で口をはさむなら、塩屋には漁港はあるが、ヨットハーバーはない。漁船は係留されているが、クルーザーはない。

やはりハードボイルドな世界を紡ぐ福田和代『黒と赤の潮流』でも、塩屋の漁港での出会いがある。そして、射撃場を備えた豪邸のある島、蛇頭が絡む暴力団の抗争、一つならず重なる点のある2冊の小説に出てくる塩屋。塩屋の港というのは、そういう若干後ろ暗い目的地への舟が出るのに好都合な、監視の目が及んでいなさそうな印象があるのだろうか。

「原口と二人で無人の真っ暗な桟橋に降り立つと、理屈抜きにもう、ほとんど宝島の気分だった。」

ヨットハーバーはないけれど、塩屋の港は宝島への船を出す港。悪くないな。