記録|シオヤプロジェクトの勝手にまち探訪 vol.54 会下山編

2024.03.17

大事な「記録」を仰せつかりました、会下山が地元であり、今回の案内人の1人である川瀬がお送りします。拙文・長文お許しください。

会下山、読めました? “えげやま”です。

会下山は歴史が古いらしく、福原(今の平野あたり)に都を築いた平清盛とも関係があり、会下山にある善光寺に子孫の平業盛(なりもり)塚があったりします。平清盛は、中国との貿易で主要な港だった今の和田岬あたりの“大輪田泊”が荒波すぎて困ってたので、”会下山”の土砂を海に埋め立てて築島(経ヶ島)をつくったと、小学校のとき社会の先生が言ってた気がします。が、今調べたら会下山の南にあった塩槌(しおづち)山からということだったので記憶はガセネタでした。
そして会下山は楠木正成が足利尊氏と戦った“湊川の戦”で陣を張った場所らしく、”大楠公湊川陣之遺跡”の碑があります。みんなご存知、湊川神社は祭神が楠木正成で「楠公さん」として親しまれ、湊川公園にも正成像があります。
少し近代の話をすると、会下山には、NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルになった牧野富太郎が収集した植物標本を置く、牧野のパトロン的な池永孟の「池永植物研究所」があったようで、今は石碑などがあります。小さいころは牧野富太郎とか知らんし、と思っていたのにテレビで神木くんが演じただけで、こんなに興味が出てくるのはなぜでしょう。
そして、今回歩くまではあんまり気に留めてなかったのですが、聖徳太子の像までありました。像がある理由は、奈良時代に法隆寺の御料地だったこともあり、全国で聖徳太子の信仰が広まった頃に神戸では会下山が太子の聖地になったらしい。なんともパワースポット感がありますね。
また、”まちづくり”的には震災後に当時日本で始まったばかりだった「市民ワークショップ」で意見を集めて整備された松本のせせらぎ通りがあったり、会下山エリアは地元主体で地域の景色を守る、神戸まちづくり条例による“まちづくり協定”などもつくられています。

そんな歴史も地域力もある兵庫、会下山エリアなのですが、会下“山”、と呼ばれてるように、神戸あるあるの高低差がすごくあったり、楽しいお店などもあります。

小さい時は地元がそんなおもろいまちだなんて思ってなかったけど、坂の上のフェンスを超え他人の空き地と細い階段を通ったり、会下山公園内の芝生の斜面でソリ滑りをしたり(今では手取さんによる会下山プレイパークも始まってて楽しそう)。地蔵盆ではお菓子を配ってくれたり(今回歩くとお地蔵さん無くなってた)。湊川商店街にいくと、鼻知場商店のレモン水を飲むのが日課だった(いまではどちらかというとひやしあめ)。
中学になると通学路が壁のような坂で、よく寝坊をして走って途中で力尽きてた1年生だったが、中3になる頃には坂上まで走り切る持久力を得てたり。
高校になると新湊川トンネルらへんを通っていたのだが、夏にたまーに川に降りて涼みながらコンビニで買ったアイスを食べたり、川辺から友達のデート現場を目撃したり。振り返ると人知れずまちと高低差を楽しんでいたのだな。

もう十分長くなってますが、記憶があるうちに、今回のまちあるきルートを振り返ってみます。今回も思う存分駆け巡れたと思います。
最初は上沢駅を起点に、校舎がグランドの土留めを果たしている市立神港橘高校付近から、新湊川のトンネルを眺め、房王寺線沿いの建て替え前と後が見られる、1階に賃貸の店子が入る形式の「下駄履き」ではなかった、まさかの区分所有の店舗が入ってる市営住宅を。(その裏には個々の楽園が広がっていて良かった)。そのあとは道に迷ったりしながら、劇的な階段や塀から飛び出る植物を愛でたり。会下山町からいったん湊川町に入り、とあるてっぺん「へこたれん坂」へ。坂は急すぎて長すぎてへこたれる。ただここは阪神淡路大震災を機に再整備された坂で、地元の、震災にもへこたれんぞ!という気持ちも込めてこの道が名付けられている(私の記憶なので違うかも)。緊急車両も登れるように整備され、コンクリートで固められてはいるのだが、急な坂と脇に残る文化アパートなどにより、なんとも風情のある素敵な坂になっているのは名前のユニークさと共に特筆すべき点かもしれない。
そこからこの探訪では神鉄より北には行かないゾ、と言いながら、自分の真下から神鉄が出たり入ったりが見られる鉄ちゃんにはたまらないトンネル上部にタッチ。
その後は今回のルートで何回も敷地内に入ることになるビッグなパーク会下山公園で一休み兼自己紹介。真夏開催なのでもう汗だく。そしてここからはもうバテてしまっていたし、今回のもう一人の案内人の中尾さんの知識の渦に飲まれるなどして記憶が朦朧としてくるので断片的な解説となる。
楽しい遊具をみたり、池永植物研究所跡の碑をみたり、湊川公園の聖徳太子が乗ってたらしい馬の像をみたり、お昼ご飯が大充実の湊川エリアを満喫したり、国登録有形文化財がレストランになってるla muraに特別に入らせてもらって説明を聞いたり、大事な歴史の神戸電鉄朝鮮人労働者の像をみたり、善光寺の平業盛塚をみたり、変わった場所にある聖徳太子像をみたり、「吹けば飛ぶよな男だが」のロケ地にもなったお屋敷を横目でみたり、と、その場所場所もおもろかったのですが、やはりこの「勝手にまち探訪」は、その道中を楽しみ尽くすのが醍醐味ですよね。今回も起伏、家、坂、階段、塀、崖、溝、植物、人々から滲み出す色んなものがワンダフォー!でした。神鉄の敷地なのでは?というフェンス内で立派に作物を育てている田畑を見た時は、ここは楽園?ってなったりしました。横幅20mはありそうな今では無用とも思われる宝塚の大階段のような階段があったり。坂が急で普通に停めたら倒れるのか、チャリが上下ひっくり返って置かれていたり。何重にも時代が重なって、でも最近はモルタルで塗っただけだな?という擁壁があったり。巨大な人間ピタゴラスイッチなゴミステーションがあったり。
そして疲れ果てたみんなが狂気のテンションで勢いよく登っていったのは、登ったその後にはただ降りることしかできない、川崎病院手前の壁に突き当たる形状の階段。ここがクライマックスかな。
ああ、そして最後にすがるように入った本法寺ではありがたいお話も聞けて大満足。近くにこんな素晴らしいお寺があったとは。
そして希望者は筒井商店(通称上沢セブン)で一杯。そのあとは第一平和温泉 龍(ラーガ)の湯で天国。

今回も2万歩登ったり降ったりしたその道々はとても素晴らしかった。
一緒に歩いた皆様もありがとうございました。

地元ではあったものの、勝手にまち探訪で初めて訪れたところや、強者たちと回ってはじめて面白さに気づいたところも多かった。
こうやって外の人が自分の地元を面白がって歩いてくれる機会は貴重。

諸行無常。キオクノキロク。
そしてこうやって写真と文字とで記録していくことはとても大事なこと。
どうせ無くなりゆくものたちなのだけど、取り壊されたりして、なかったことになるまえに、それを写真と文字とで形づくる作業は必要なことである。
そしてそれをこうみごとに粋にやってのけているシオヤプロジェクトはすごい。
ありがとう、シオプロ。
ありがとう、会下山。
ありがとう、私たちを楽しませてくれるまちたち。

文:川瀬葉月 写真:森本アリ

INFORMATION

6月の「vol.53雪御所編」に続く、7月の「vol.54会下山編」は、ほぼ地続きに東から西へスライド、ザックリ言うと西を房王寺線、東を湊町線、北を神戸電鉄有馬線、南を山手幹線に囲まれた標高85mの会下山を中心とした丘陵地の探索です。ちなみに、10月には会下山の中を通る湊川隧道、新湊川トンネルを絡める「新湊川編」、9月には番外編として「旧湊川編」も計画しています。たまたま集中的に兵庫区の”上の方”(北部)が続きます。兵庫区の上の方に詳しくなります。ご期待ください。楠木正成ゆかりの、そしてNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」のモデル、牧野富太郎が収集した植物標本を収容する「池長植物研究所」があったなど歴史にも刻まれる会下山エリアですが「勝手にまち探訪」で探索するのはやはり、階段、坂道、路地、個性的な地理的環境に生まれた住宅街。マップ上に「へこたれん坂」なんて表記が出てくるんだから、期待値は上がる、息もアガル。

案内人 :中尾嘉孝(なかおよしたか)さん・川瀬葉月(かわせはづき)さん

日  時:2023年7月26日(水) 10:00集合 17:00頃解散
集合場所:神戸市地下鉄上沢駅改札前
探索場所:会下山町、松本通、大井通、重池町
料  金:500円

主催:シオヤプロジェクト
令和5年度 神戸市・まちの再生・活性化に寄与する文化芸術創造支援助成対象事業

 予約・お問い合わせ:塩屋百景事務局

TEL:078-220-3924 E-mail:info@shiopro.net
※前日までにご予約ください。
※ご参加日、お名前、電話番号、参加人数をご連絡ください。
メールの場合はこちらからの返信をもって予約完了とさせていただきます。

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中尾嘉孝

1970年、兵庫区山田町小部生まれ、神戸市生田区中山手通1丁目出身。15の春、近代化遺産の魅力に開眼、以来、学業、部活、本職、保存活動の合間を縫って、京阪神間を始めとする各地の建築・町並みの「追っかけ」活動に勤しむ。現在、港まち神戸を愛する会世話人、特定非営利活動法人全国町並み保存連盟理事

川瀬葉月

1990年生まれ。育ちは神戸の兵庫区湊川。大学時代に駒ヶ林をフィールドワークしたことをきっかけに、人間味のあるまちの面白さの虜になる。神戸市役所入庁後、塩屋地区の担当になり、地域住民の森本アリさんから「グのシェアハウスあいたけど、入る?」といわれたのをきっかけに塩屋に移住。
まちあるきを「誰得ストーリーズ」としてインスタでミシン目で更新。また勝手に神戸餃子部長として活動を開始。@kobe_gyoza_club