2024年10月6日、兵庫県神戸市中央区にある「海外移住と文化の交流センター」で、「坂のまち、 神戸、 あれこれ」というイベントが開催された。神戸市内各区の坂の魅力について、自治体の代表者や識者が紹介するという趣旨だ。私はそこに参加して、3時間半ほど、みっちりと坂の話を聞いてきた。
これからそのイベントの模様をレポートしたいのだが、まず簡単に私の話をしておきたい。スズキナオという名でライターの仕事をしている私は、現在、大阪市都島区に住んでいる。10年前に大阪に引っ越してくるまでは東京で暮らしており、中央区や豊島区に長く住んだ。今いる大阪市都島区も、東京の中央区や豊島区の住まいの近くにもほとんど坂らしい坂がなく、私はこれまで勾配と共にあるような生活をしたことがない。
そんな私にとって、神戸のまちを歩いていて感じる坂の多さは特別なものだ。たとえば、神戸市の高取山が好きでよく登るのだが、高速長田駅から山へ向かっていくと、登山道にたどり着く前から(私にとっては)急な坂が続くあの感じ。普段たいして運動をしていないので、すぐに息が上がり、立ち止まって振り向くと見晴らしがよくて、いつの間にかだいぶ高いところまで来ていることに気づく。坂の上にも住宅地が広がっていて、そこで暮らしている人がいる。好きでよく行く塩屋あたりを歩き回ってみた時も、こんなにも坂道ばかりなのかと驚かされた。
と、たまに出会う坂にいちいち驚いてしまうほど初心者の私だが、今回「坂のまち、 神戸、 あれこれ」に参加して、神戸の人々にとって坂というものがどういう存在なのか、今までより一段深く理解できた気がした。
イベントは、「シオヤプロジェクト」の森本アリさん、神戸市の職員である橋本さんの挨拶からスタートした。このイベントは神戸市が主体となり、塩屋エリアの魅力を様々な形で発信している団体「シオヤプロジェクト」と「4S DESIGN」が「坂のまちサミット運営共同事業体」として共同で委託を受けて開催したものであるとのこと。
イベント全体の簡単な説明があって、神戸市9区(東灘区・灘区・中央区・兵庫区・長田区・須磨区・垂水区・西区・北区)の行政担当の方と、各区を代表する、坂に詳しい識者たちのプレゼンタイムが始まる。
全体が3部構成で、まずは東灘区・灘区・中央区の3区のプレゼンから。こんな風に、3区ずつ、途中に休憩を挟みながらイベントが進行していく。行政担当者による各区の紹介(こんな見どころがあって、こういう歴史的な背景や特色がある区だというような)は2分ずつ、各区代表のプレゼンは10分ずつ、と、それぞれは短いものだが、これが9区となるとなかなかのボリュームになりそうで、「途中で疲れ果てないだろうか……」と少し不安になる。
しかしそれは杞憂に終わり、どの区のプレゼンも楽しい。東灘区の代表者として登壇した美術家の上村亮太さんは、「東灘区には大きな坂や険しい坂がありますが、とても10分では語り切れませんので、今回はあまり知られていない、地味な坂を紹介したいと思います」というようなことを最初に告げられ、森北町にある“モンマルトルの丘”風の坂、中腹からの眺望がいい住吉山手9丁目の坂道などをスライドで紹介する。スクリーンに坂の写真が映し出されるたび、会場から「ああー!」と声が出たり(きっと「あの坂ね!わかるわかる!」というような意味の反応だろう)、「この階段は、私が上りたくない階段ランキングの第1位です」というような上村さんの説明に大きな笑いが起きたりする。ほぼ満席、80人ほどの聴衆が集まる会場が、坂の話だけで盛り上がっている。
続いて灘区の代表として登壇したnaddist・慈憲一さんは、区内の坂を紹介していくようなスタイルはあえてとらず、神戸の坂が、100万年以上前から時間をかけて続いた“六甲変動”と呼ばれる土地の隆起と、その後に幾度となく繰り返されてきた土砂崩れによって生まれたものであることを説明していた。神戸の坂を歩くことは、そのまま大地のうねりを体感することでもある。慈さんは「灘区では坂は信仰の対象なんです。みんな坂に手を合わせています」と大げさなことを言って会場の人々を笑わせていたが、神戸のまちの複雑な地形の象徴が“坂”であることは確かなのだ。
中央区代表の建築家・野口志乃さんは前の二人とはまた違うスタイルで、80枚以上も用意されたスライドをハイペースにめくっていく。めくってもめくっても坂。クラクラしてくるほどである。神仙寺通にかつてあった佐野サナトリウム前の坂、中島通の坂に広がる春日野墓地、冬になると楓の実が斜面をころころ転がっていくというセントポリア坂……。一つ一つの坂に歴史があり、人それぞれの思い入れがあることが伝わってくる。
と、これで第一部である。イベントはまだまだ続く。第二部は兵庫区・長田区・須磨区の3区の坂についてのプレゼンが行われた。兵庫区代表で産業遺産の専門家である前畑洋平さんは、廃墟愛好家目線で好きな坂を紹介していた。長田区代表・角野史和さんのGoogle Earthを使ったプレゼンは、上空からの視点で大地の起伏をはっきりと感じることができた。坂とその周辺の面白スポットを見せつつ展開する須磨区代表・柳谷菜穂さんのプレゼンには、みんなで一緒に散歩をしているかのような楽しさがある。
第三部に登壇された垂水区代表・堀範子さんの、坂道をバイクや自転車で移動する大変さについての話(日々、坂を上り下りするため、垂水区で暮らす人の肺活量はすごいのだとか)は印象的だった。あまり坂がない西区代表・マスダマキコさんが西神中央駅近くの坂をスライドで映しながら「本日最もゆるい坂だと思います」と言っていて面白かった。北区代表・中尾嘉孝さんは、「散髪しに行くのにも、図書館に行くのにも、学校の行き帰りにも坂がありました」と、坂とともにある人生をユーモアを交えて語る。
第三部までが終了し、最後は各区の代表が勢ぞろいしてのディスカッションタイムとなる。事前に集められた質問に答える形で進められる中、特に印象的だったのが「神戸には自転車に乗れない人が多いのでしょうか?」という質問に対して、中央区代表の野口さんが、「50代以上の女性は『顔に傷できたらあかん、自転車に乗ったらあかん』と親からしつけられていたそうで、自転車に乗れない人がかなり多いんです」と語っていたこと。第三部の堀さんの話もそうだったが、坂が多いということは、移動に常に困難さが伴うということでもある。平坦な土地で暮らす私にとっては、なかなか想像のできない部分だ。
自転車については、最近では電動アシスト付き自転車も普及しているし、そこに少しの希望を感じもするが、実際、坂の上に住む高齢の方が生活に必要な買い物をしにいくのは大変な苦労だし、危険もある。そこで、灘区の「坂バス」を先駆けに、コミュニティバスが走る地域が少しずつ増えていっているという。運転手の人員不足や経費の確保など、運用上の課題も多いようだが、少しでも暮らしやすい環境が整うよう、(神戸の外からだが)願わずにはいられない。坂とともに暮らすということは、そのネガティブな面も引き受けることであり、いい面も大変な面もあるからこそ、神戸の人が坂に対してこんなにも強い愛着を持つのだと思った。
ディスカッションでは、坂の名前に関する話も出た。神戸市内には、広く名前の知られる坂もあれば、公的な名のない小さな坂もある。ただ、そういった小さな坂でも、近くで暮らす方の間では「○○さんとこの坂」といったように呼ばれているケースがあるそうで、そんな話もまた、坂とともに暮らしがある町だからこそだなと感じた。灘区の慈さんは自主的に坂に名前をつけているようで(その名がずらっと載ったペーパーが当日の資料として配布されていた)、そうやって坂に着目していこうとする試みも面白いと思った。
充実のイベントが終わって、帰り道、JR元町駅へと向かう坂を下る。今回のイベントの主体である「坂のまち神戸プロジェクト」のキャッチフレーズは「坂の話をしよう。」だそうだが、坂の話だけでこんなに盛り上がる神戸が、うらやましく思えた。
2024年11月23日(土)24日(日)には、今回と同じ「坂のまち神戸プロジェクト」の一環として、「坂のまちサミット!?神戸2024」という催しが開催される予定だという。実際に外を歩いて坂を体感するまち歩きと有識者によるパネルディスカッションがセットになった、二日がかりの大規模なイベントになるそうだ。坂愛のある方、坂に興味がある方はぜひ参加してみてはどうだろうか。
坂のまち神戸プロジェクト
https://www.city.kobe.lg.jp/a47946/saka.html
※このイベント及びレポートは、神戸市からの委託事業として実施・作成したものです。
スズキナオ
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『家から5分の旅館に泊まる』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。