
幕末の一八六七年に港を開いて以来、神戸は欧米人や華僑、印僑などじつに様々な外国人を迎え入れてきた。国際都市KOBEにとって外国人のいる風景は至極ありふれた日常だ。埠頭近くの旧外国人居留地、北野界隈の異人館、そしてジェームス山には、いまも多くの外国人のビジネスマンや家族が暮らしている。神戸っ子には何の不思議もない光景である。(中略)ジョギングに出かける壮太の足は、近頃ではついジェームス山周辺に向いてしまう。
ジェームス山の外国人住宅地を開発したE.W.ジェームスが戦時中にスパイの嫌疑をかけられたことを知ってか知らでか、インテリジェンス小説『鳴かずのカッコウ』は、いみじくもジェームス山が舞台。
主人公の公安調査員、梶壮太は月見山に住み、ジョギングコースとして須磨海浜公園から塩屋に駆けての海沿いの4キロあまりを走った後、
ピッチを一気に上げて坂道を駆けあがると、御影石のライオンがあんぐりと口をあけて梶壮太を睨みつけた。
「ここから先は私有地につき、立ち入りを一切禁止します。許可なく立ち入った者は、不法侵入者とみなします。ジェームス山外国人住宅」
そう表示されているのだが、高い塀もゲートらしきものも見当たらない。かつて「異人住宅地」と呼ばれた敷地内には、意外にも不動明王を祀る小さな祠がある。おばあさんが背中を丸めて手をあわせ、賽銭箱に小銭を投げ入れていた。ヤマモモの木立からメジロの澄んださえずりが聞こえてくる。
ジョギングをしていて迷い込んだと言えば咎められないだろう。そのまま坂を駆けていくと、突然眺望が開けた。新鮮な空気を思いっきり肺に吸い込み、彼方の海に視線をむけた。南西の方角には明石海峡大橋が架かり、その先には淡路の島影が春霞に揺れていた。
一字一句違わず、書き写された悪名高い立ち入り禁止看板

そしてライオン像

メディチ家の家紋に似て一玉少ない、五つの玉の紋章も意味深である。
「異人住宅地」という呼称はあまり耳にしたことがないものの、現地取材をしたうえで書いていることは間違いない。そして、ここに書いてあるとおり、咎められたことはないから、私たちもときにジェームス山外国人住宅地に「迷い込む」。家々がゆったりした配置の庭の広い住宅地は散歩に適している。かつては敷地内に小さな動物園もあったと聞く。ライオンのみならず、茂みの中にトラの像もある。

ジェームス山のシンボル的なライオン像だが、大英帝国の国章から英国人ジェームスが好んで設置した可能性もあるけれど、そのいわれは不明。
個人的に気になっているのは、数年前に開業したジェームス山テラスと呼ばれる商業施設の入口に、樹齢200年のオリーブの木が移植され(神戸には日本一古いオリーブの木といわれるものが湊川神社にあり、その推定樹齢は150年)その根元にFRP樹脂製のライオン像がまるで、ジェームス山ができた頃、どころか、この木が生まれた200年前からここにいましたよ、というようなもっともらしい顔をして睨みをきかせている。オリジナルの石像を模したものだけれど、それについて言及はなく、これこそまさに「歴史の捏造」と呼んでいいものなのではないかと懸念している。

ちなみに、ライオン像といえば、垂水の某古道具屋の前に座っている一体も、まことしやかにジェームス山由来であるかのように語られるのを聞いたことがある。また、ジェームス山から少し離れた、塩屋町5丁目のとある個人宅にもライオンの石像があるが、敷地の外からは見ることができない。70〜80年代に活況を呈し、現在は廃墟と化した複合商業施設、中野センターで最後まで営業していた店の名前も「ライオン」だったな、そういえば。
再び引用。
地元の人々はこの界隈を「ジェームス山」と呼ぶが、公式の地図にその名は見当たらない。戦前、神戸でカメロン商会を営んでいた英国人アーネスト・W・ジェームスが、高台からの眺望を気に入り、ここに私邸を建てたことに由来する。ジェームスはさらに私財を投じて周辺の山林七万坪を買い取り、英国人向けに六十戸の邸を建てた。こうして異人住宅地が出現した。GHQ(連合国軍総司令部)が日本に進駐してくると、かつての英国人住宅街は高級将校用の住宅として接収された。(中略)占領期には、ジェームス邸もGHQ幹部の屋敷として接収された。オレンジ色の丸瓦にクリーム色の土壁、随所にアーチを施したスパニッシュ様式の邸宅は、その後、地元の財界人に買い取られ、いまでは洒落たフレンチ・レストランになっている。彼女がいればランチに誘えるのに、いや、やっぱり身分不相応かな−。心のなかでそう呟きながら、壮太はジェームス邸の正門を出て、塀沿いに裏手の敷地へと走っていった。
かつてはこのあたりにも豪壮な洋館が建ち並んでいたのだろう。いまは金網で囲まれ、掘り起こされた地面からコンクリートの塊が顔を覗かせている。大手の不動産会社に買い取られ、大がかりな造成工事が進められていた。あと二年もすれば、華麗な横文字が冠されて、億ションとして富裕層向けに売りに出されるのだろう。まあ自分には一生無縁な世界だ。そう言い聞かせながらジェームス坂を横切り、丘陵に建つ外国人住宅地へと走っていった。
ジェームス邸の裏手の空き地は、道路を挟んで東側にある塩屋カントリークラブの敷地の一部として俗に「裕次郎橋」とよばれる高架橋で繋がっており、今もグラウンドが一面あるのではないかと思われるが、かつてはカントリークラブのクラブハウス自体がこちら側に建てられており、テニスコートや芝生のグラウンドが設けられていた。広々とした芝生に点在する家々、プール、テニスコートなど、優雅な生活を取り巻く環境が、戦時下においては「贅沢な外人村」として当局や新聞に目をつけられていたことも伝わっている。
「異人住宅地」という呼称に馴染みがないことは既に触れたが、「ジェームス坂」というのも初めて聞いた。高低差の多い町をポジティブに捉えるには、坂に名前をつけることが第一歩だと考えている身としては、ありがたい提案として受け止める。一方で、この坂が主にトレイルランナーたちの間で「エキゾチック坂」と呼ばれていることも追記しておきたい。(これは、とある絵地図に「エキゾチックな道」とあるのが発端と聞く)
外国人住宅地が戦後にGHQに接収され、将校クラスの居住地となって、カントリークラブの敷地にはダンスホールまでつくられたという。占領軍が去ってから、ジェームスから管理を委託されたウィリアムスは、軍のトラックが乱暴な運転で壊した道路脇の塀などを写真に撮って報告している。占領軍の尻拭いはいったい誰がしたのか?瀟洒な外国人住宅地の今昔にも盛者必衰、栄枯盛衰がある。
なお、塩屋カントリークラブでは2度の火災があり、現在のクラブハウスは1971年に建てられたもの。
映画『夜霧のブルース』(1963)では、この坂を下って買い物に行く(!)ため、買い物籠を下げた浅丘ルリ子が降りてくるのを橋の下で待っていた石原裕次郎がカントリークラブの横の生け垣の脇を二人で話しながらゆっくりと歩くシーンがある。画面でも実際よりも異様に長く続く生け垣だが、そのうえ何度も撮り直すのでしまいには見ているのに飽きてしまったというロケを見ていたヤジ馬の証言が伝わっている。
作者手嶋龍一については、NHKワシントン支局長として2001年の9.11の際24時間の連続中継を11日間担当していた御仁と知ると、おのずと顔が浮かんでくる。彼が取材にジェームス山を歩いていたら、「おや、どこかで見たことがある顔だ」と決して看過されないだろう。この小説の主人公の公安調査官、梶壮太のように「取り立てて特徴のない地味な顔」では無い。
この本を読んで、公安調査官、つまりスパイが出てくる小説を「インテリジェンス小説」と呼ぶことを初めて知ったのだが、2001年ニューヨークの9.11後に繰り返し見ることで覚えてしまった顔の人。この「インテリジェンス小説」の作者にはスパイはつとまらないだろう。


