









このコラムは「しおやカルタ」の読み札から第一回を始めた。第二回の今回も「しおやカルタ」の「に」から。
「にしむきじぞう やんだらあみで うみのそこから」
やんだら網とは地引網のこと。地引網に引っかかって釣り上げられた地蔵なのだ。何度か火事にあった西向き地蔵さんの周りには、お参りしたり御詠歌を歌ったりする屋根付きの小さな参拝所はあるのだけど、肝心のお地蔵さんには祠がない。海から拾われたお地蔵さんは濡れるのが好き、ということでお地蔵さんには屋根をかけなくたった。そうしたら火事にはあわなくなったとさ。ぼんげんがんばんがらびんげん。
西向き地蔵の周りにある玉垣には、私の記憶にも鮮明に残る方のお名前も、「塩屋音頭」の歴史を聞いた時に出てきた塩屋のレジェンドたちの名前も刻まれているが、ひときわ目を引くのは「ジョネス」「エブラハム」などの外国名だ。「ジョネス」は国道二号線沿いにあった旧ジョネス邸のジョネスさん。「エブラハム」は「塩屋異人館倶楽部」というレストランにもなっていた旧箙(えびら)邸のエブラハムさん(英国人貿易商ジョーイ・エブラハム、のちに帰化し、箙譲衛に改名)。共に塩屋の町に馴染んでいたことがわかる歴史的にも貴重な刻印だ。
坂の話を全然していない。旧グッゲンハイム邸の付け根の踏切から旗振り山の山道へと誘う階段に続く、長く細い坂道。木版画家の西野通広さんとシオヤプロジェクトで制作した『観て、感じて、発見マップ「ぶらり塩屋の町」』では西野さんが「東しおみ坂」と命名してたりもしたっけ。名前はないこの坂は「六甲山全山縦走」の元祖・東の起点であった(今は住宅地を抜ける関係で変更された)。
明治、大正の洋館と西向き地蔵に挟まれた坂を登りながら振り向くと広がる、屋根と屋根の先に広がる瀬戸内海と淡路島への眺望は、マンションが乱立する海沿いのギザギザの壁を想像力で消すと、明治時代にこの景色を気に入って洋館を建てた、地蔵を設置した、先人の心を今でも十分に感じることができる。
文・写真:森本アリ(旧グッゲンハイム邸|シオヤプロジェクト|三田村管打団?|音遊びの会)


